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浪花のショットガン!競艇選手『岡村仁(おかむらまさし)』の実力は?

競艇 岡村仁
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競艇選手 男子

浪花のショットガンの異名を持ち、G1優勝の経験もあるトップレーサーの一人です。最近では妻である岡村さとみさんがメディア出演をして美人過ぎると話題を集めています。


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この記事の監修者
後藤孝男
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。

競艇選手の岡村仁(おかむらまさし)とはどのような人物なの?

競艇 岡村仁

岡村選手の名前は、仁と書いて『まさし』と読むことから、ひとしと呼び間違えられたり、同じボートレーサーからはジンと呼ばれていたりもします。

そんな彼についてじっくり調べてみました。

生年月日や出身地

生年月日 岡村仁

岡村仁(おかむらまさし)は1984年2月19日生まれで大阪府出身、大阪支部所属の競艇選手です。

身長は167cm、体重は55kgで、血液型はO型、2019年1月時点では34歳です。
95期として登録、登録番号は4311、級別はA1級で、師匠に野添貴裕、同期に青木幸太郎、峰竜太、加藤綾らがいます。

競艇選手になったきっかけは?

競艇 きっかけ

長嶺豊元選手に出会った事がきっかけですと話していますが、いつどのタイミングで出会ったのか?というのは定かではありません。

ちなみに長嶺豊元選手は「浪速のドン」と呼ばれ、G1優勝10回、SG優勝経験もありでボートレース殿堂入りも果たしている競艇界のレジェンドの一人です。

ボートレーサーとしての目標

賞金王になることだと話しています。

賞金王になる為には、年間でタイトルを二つ位は取らないと厳しいことから、現在はまだこの目標を達成できてはいません。

趣味や特技など

特技はミニバイク、趣味はカートということで、レースがとにかく好きという感じですね。

やまと競艇学校に2度入学している

中村仁はやまと競艇学校には92期で入所したが、同期の男子訓練生数人と共謀して集団退所事件を起こしてしまい、その際に退所処分となったという過去があります。

その後、反省し、やまと競艇学校に謝罪を行ったため同校への再入学が認められ、再受験の上で95期として再入学することが出来ました。

ちなみに現在は、素行不良などで退学処分となった者の再入学は認められなくなっています。

結婚していて超美人の奥さんがいる

超美人 奥さん 岡村さとみ

2018年9月に「中居正広のスポーツ!号外スクープ!」に出演を果たした後、メディアでの露出が増えている、奥さんの岡村さとみさんがあまりにも美人過ぎると注目を集めました。

競艇学校時代からの付き合いだったということで、今も尚仲睦まじい関係なのは羨ましい限りですよね。

こだわりの為にはお金を惜しまない

岡村さとみさんがメディア出演した際に色々とびっくりエピソードが出てきたのですが、その中には6着になりたくないから、車のナンバーを666にしてゲン担ぎをしていたり、更に5着になりたくないからと555のナンバーの車も購入していたりするようです。

また、美容へのこだわりが凄まじく、高級化粧品を購入したり、脱毛や美容室に年間108万円も費用をかけているということも判明しました。

やはり競艇選手は非常に儲けていて夢のあるスポーツだなと感じさせられますね。

浪花のショットガン

浪花のショットガン

競艇選手のニックネーム付けに定評のある十三スポーツ発祥で名付けられた『浪花のショットガン』の考案者は『島あたるさん』です。

ナニワというと、漢字の候補としては難波、浪速、浪花とありますが、正式名称は『浪花』です。

「華のあるレーサーになってもらいたいから花でいこう!」

と、鶴の一声で確定したとの事です。
(考案者ではなく、M記者が命名)

ただこれには理由があって

島あたる

小道具を用意していたから!というワケで、最終的には浪花でも浪速でもどちらでも、ということみたいです。

花も速も競艇にはぴったりの言葉ですよね。

また、憧れの長嶺豊さん同様、浪速のフレーズを本人はかなり気に入っている模様です。

浪花のショットガン襲名披露パーティーでは、考案者の島あたるさんにエースプロペラをプレゼントしたみたいですよ。

このパーティは2010年に行われたもので、2012年4月から持ちペラ制度廃止になった事を考えると、当時の競艇選手の命とも言えるエースペラをプレゼントしたっていうのは物凄いことですよね。

太っ腹で気前のいい岡村仁の人柄が垣間見えた瞬間です。

岡村仁のレーススタイルと特徴

旋回技巧タイプ

津競艇場による、レーサー戦力分析では、旋回技巧タイプに分類され、スピード重視の走りに爆発力ありという評価を得ています。
端正なハートが繰り出すレースが魅力満点と太鼓判を押されるなど、見るものを魅了する走りが岡村仁のレーススタイルと言えそうです。

岡村仁の競艇選手としての成績

卒業記念競走優勝 岡村仁

95期と言えば、峰竜太を始めとして非常に強い選手がひしめく世代です。

その中で岡村仁は、やまと競艇学校時代の成績をリーグ勝率8.09 準優出3 優出5 優勝1 リーグ勝率第1位 卒業記念競走優勝とぶっちぎりトップで卒業をしています。

将来有望、有力視されていた岡村仁はプロデビュー後にどのような成績を残しているのでしょうか?

プロデビューは2004年11月

あざやか霜月競走 プロデビュー

2004年11月11日に住之江競艇場で開催されたあざやか霜月競走にてプロデビュー、成績は3着でしたが、3日目の13日2Rでは早くも初勝利を飾ります。

初優出で初優勝を飾る2005年

2005年8月25日から三国競艇場で開催された九頭龍賞にて初優出の後、初優勝を飾りました。

2号艇出場で決まり手はまくり差しでした。

G1初出場で初勝利

2009年1月20日にびわこ競艇場で開催されたG1第23回新鋭王座決定戦5Rにて初出場と共に初勝利を飾りました。
1号艇1コースで、決まり手は逃げでした。

2回目の優勝までは遠い道のり

初優勝から約5年

鮮烈なデビューを飾った岡村仁でしたが、実は2度目の優勝までには初優勝から約5年の歳月がかかりました。

この間、全く勝てないとかそういうわけではなく、級別も順調に昇格していたのですが、安定して同節で連続勝利するというのがあまり叶わず、優出出来なかったというのが大きな理由となりました。

G3初優勝は2010年

2010年5月11日から戸田競艇場で開催されたG3’10新鋭リーグ第6戦にて自身2度目の優勝を飾りました。

4号艇出場から決まり手は華麗なまくりでした。

上り調子となる2012年

2度目の優勝を果たし、2011年は優勝お預けとなりましたが、2012年には1月に若松競艇場で開催された西部競艇記者クラブ杯G3MB大賞トライアルで3回目の優勝、12月に三国競艇場で開催された日本トーター杯やまと学校卒ファイナルバトルにて4度目の優勝を果たします。

爆裂した2013年にG1初優勝

G1江戸川大賞開拓舞台周年記念

2013年7月4日から江戸川競艇場で開催されたG1江戸川大賞開拓舞台周年記念にて初めてのG1優勝を手にしました。
初めての優勝と同じく、G1においても初優出での3号艇から華麗なまくりで初優勝と、大一番での強さを感じさせる走りでした。

嬉しいSG初勝利を長嶺豊さんに見せる

SG第16回チャレンジカップ

2013年11月19日から津競艇場で開催されたSG第16回チャレンジカップに初出場、初日7Rに初勝利を飾りました。

この時の勝利者インタビューでは以下のように語っています。

(スタートは)風強いので入ってるやろと思って(コンマ05)。いや嬉しかったです。1コーナー回った時には結構前おったんで、スタートだけ正常になればいいなと思いながら。ペラが多分乗りやすいと思うんで。(SG初勝利は考えた?)考えました。長嶺(豊)さんがいらっしゃる時にやりたかったんで。(焦らず回れましたね)よくかかってくれたんでよかったです。出足寄りですね。ただやっぱり道中乗ってる分に、まだちょっと気になるところがあるんで。あと伸びはいい人にちょっと分が悪いんで、そこもよくしたいですね。幸先いいスタート切れたと思います。この勢いそのままに最後まで走りたいと思います。どうか応援よろしくお願いします。

長嶺豊さんと言えば、中村仁が競艇選手を目指すきっかけともなった人物で優勝にも勝るとも劣らない喜びをかみしめたようです。

また、この時、長峰豊さんは『みんな簡単に1着獲ってくるんだから、たいしたもんや~。僕なんか、ずいぶん時間がかかりましたよ!』と感心していたとの事です。

2013年はG1含む5回の優勝とそのポテンシャルを存分に魅せつけてくれました。

2017年は悲劇の返還劇

コンマ03のフライング

2015年、2016年と順調に優勝を積み重ねていたのですが、2017年に大きなミスを犯してしまいます。

2017年9月6日から住之江競艇場で開催されたG1第45回高松宮記念特別競走にて、1号艇、1番人気で優出を果たし、二つ目のG1優勝を誰しもが期待したのですが、痛恨のコンマ03のフライングを切ってしまいます。

これにより、6カ月間はG1、G2戦を選出除外となった上、優勝戦の売り上げ5億5191万1700円のうち、82・8%にあたる4億5700万5300円が返還となってしまいました。

再起を図る2018年

優勝戦のフライングという痛恨の一手を打ってしまった事で、その活躍が危ぶまれましたが、2018年は一般戦で15度の優出、しっかりと3度の優勝を手にしました。

まとめ

ボートレーサー 岡村仁

調子を上げて迎えた2019年、岡村仁の次なる目標は、やはりSGでの優勝でしょう。

彼の過去の水神祭を見やるに、一般戦では初優出で初優勝、G1では初出場で初勝利、初優出で初優勝、SGでも初出場で初勝利ととにかく初物に強い傾向があります。

SGにおいてもこのジンクスが途切れないとすれば、初優出での初優勝が大いに期待できる選手と言えます。

2019年は必ずSGでの初優出を果たし、そのまま初優勝を手にして欲しいですね。

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