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事故の恐怖を克服!競艇選手の江崎一雄の真の実力と過酷な苦労の成果を解説

競艇 江崎一雄
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競艇選手 男子

みなさんは競艇選手の江崎 一雄という選手を知っていますか?

怪我を乗り越え、SG出場を果たし、初勝利も飾っている福岡の名選手です。

そんな江崎 一雄選手ですが、彼の競艇に対するスタイルや過去の成績はどんなものなのでしょうか。

今回は、江崎一雄選手の全てがわかるように解説していきます。

  • 競艇選手経歴
  • デビューについて
  • 事故と現状
  • 競艇成績
  • 師匠について

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この記事の監修者
後藤孝男
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。

江崎一雄とはB1級競艇選手

競艇 江崎一雄 どんな選手?

今回は、競艇で期待の10年に一人の逸材と呼ばれた、江崎一雄選手について紹介したいと思います。

名前は、江崎 一雄(えざき かずお)登録番号は4657で、福岡支部に所属するB1級競艇選手です。
※2015年時点ではA1選手でした※

身長170cm、体重53.6kgで、血液型はO型です。

彼は、福岡県福岡市西区出身で、もともと麻生建築&デザイン専門学校に通って建築の仕事を目指して居ましたが中途退学して競艇選手を目指しました。

彼の同期には小野達哉選手などがいます。

江崎一雄2011年5月デビュー戦で優勝戦進出

登録期は、108期で、デビュー日は2011年5月になります。

2011年の今年3月にプロボート選手養成学校の「やまと学校」を卒業し、5月にデビューしたばかりの新人選手が13年半ぶりの快挙を成し遂げ、当時は有名になりました。

その彼が話題となったレースは、2011年の9月から始まった福岡県・ボートレース若松で開催中の『東日本大震災 被災地支援競走 第39回しぶき杯争奪戦』で、108期・江崎一雄選手(23・福岡)が、1997年11月以来となる「デビュー節で優勝戦進出」を果たしました。

1997年11月以来とは、相当凄いですよね。
数ある競艇選手の中でもセンスは抜けていたのでしょう。

江崎選手は「やまと学校」在籍時の成績が過去トップだったことから、デビュー前から“10年に1人の逸材”と専門誌などで報じられ、一部ファンの間では大注目されていました。

しかし、その期待を上回る結果とテクニックに、ツイッターなどでは「とんでもないルーキーが現れたぞ」「江崎一雄…名を覚えておいてくれ 凄過ぎるわ…」、「デビュー節の江崎選手が一着で優出は凄い」と噂が絶えなかったそうです。

関係者にも、こんな新人過去にいたの?規格外過ぎる!これがボートレース人気復活の起爆材になれば!」と称されました。

競艇の江崎(ボート)、三浦皇成(競馬)、深谷知広(競輪)と10年に一度と言われる新人は同じような時期に出てくるのかと各種の報道では騒がれました。

全くジャンルは違うけど、なんか面白くなってきたとボートレース、公営競技のニュースターとして期待する声が多数見られ、期待の新人として競艇選手の人生は始まりました。

彼の、ニックネームは苗字と江崎グリコに引っ掛けて「グリコ」と呼ばれていたそうです。

競艇選手を目指したきっかけは「福岡競艇場で見た岡崎恭裕の全速ターンを見て身震いした」ことでした。

やまと学校時代はリーグ戦勝率が8.64と好成績を収めます。

選手養成員リーグ戦成績が10戦して7回の優勝を勝ち取ります。

この優勝回数はこれまでの瓜生正義の6回を抜き、やまと学校史上最高記録となりました。

このように実力が極めて高かったため、BOATBoyや競艇マクールの雑誌やマスコミに「数年に1人のスーパールーキー」として取り上げられ、注目されるようになります。

卒業時の目標は「デビュー期でA級昇格。植木通彦選手の成績を上回る」ことを目標と語っていましたが、やまと学校で優秀な成績だったため、デビューからB1級斡旋の指定を受けスタートしています。

江崎一雄の憧れの競艇選手は岡崎恭裕・瓜生正義

競艇 江崎一雄 憧れ

岡崎恭裕選手とは、現在は同じ福岡支部に所属するA1選手です。

やまと競艇学校時代はリーグ戦勝率5.77(準優出6 優出2)の成績を残していました。

2004年5月8日、地元福岡競艇場にて開催された一般競走第2レースでデビュー(4着)でしたが、6月3日、福岡にてデビュー14走目で初勝利します。

2010年3月22日、平和島競艇場で行われたSG第45回総理大臣杯では初優出を果たした(結果は2着)でした。

同年の笹川賞では、5月29日の準優勝戦で3着ながらも、1着だった白井英治の待機行動違反によりSG2節連続で優出します。

翌30日の優勝戦では、6号艇で本番は5コースからコンマ07のスタートから一気に追い上げ、SG初優勝を果たしました。

準優勝の3着者によるSG制覇は史上初の快挙です。

その後2010年の賞金王決定戦で優出(5着)して2011年のSG優先出場権を獲得しました。

2011年のMB記念優勝戦で出畑孝典選手と共にフライングを犯してしまい、2012年の同大会までSG競走の出場権が剥奪されました(GI・GIIもフライング休み後6か月除外も併科、直後の全日本選手権競走は出場が取消で優先出場権も無効になった)。

2017年3月29日、江戸川競艇場において開催されたダイヤモンドカップの優勝戦にて、4コースからカドまくりを決めて初のGIを獲得(優出13回目)しています。
2018年11月25日までで、通算優勝回数は39回もある超有名選手です。

彼の自在スタイルと強い気持ちの高速ターンは、若かった江崎一雄選手を魅了したのでしょう。

また、1人の人間としてレーサーとしても一流という理由から「瓜生正義選手」の名前も挙げています。

江崎一雄選手、不運の事故で休養する

競艇 江崎一雄 不運の事故

2015年8月、ボートレース三国の一般戦でレース中に落水しました。

その後に、不運にも後続艇と接触し、両眼球打撲傷と左眼窩底骨折という重傷を負い、長期休養を余儀なくしてしまいます。

彼にコメントでは「(当時の)レースの記憶は全然ない。(左の)目が残っていること自体が奇跡なんですが、左側を見たら激痛が走って。医者からも(手術しても)高い確率で何かしらの後遺症が出るって言われた」と語っており、当時は絶望的だったようです。

また、最悪の場合、失明する可能性まであったと言っておりました。

事故後、すぐに手術を受け休養をしました。

顔の腫れが引き、ソッと目を開くと「目は見えたんですが、左目は1個の物が3個ぐらいに見えた。ああ、終わったなって思った」と本人思ったようです。

選手生命の危機に陥り、引退の文字が頭に浮かんでいたようです。

しかし、そんな江崎を支えたのはSNSに書き込まれたファンからの励ましの声でした。

当時の彼のコメントです。

「こんなリスクを背負って、そこまで命を懸けて今後やっていけるのかって考えた。長い目でみたら普通の生活して、地元の友達とかとワイワイやった方が楽しんじゃないかって考えたけど、フェイスブックとかでいろんな人がコメントしてくれて。それを見て、一歩足を踏み入れた以上はやるしかないと思った」

彼はこの励ましからリハビリと根性を出して、事故から3カ月後の芦屋一般戦で実戦に戻りました。

復帰戦は4着だったが「楽しかった。レースは負けて悔しかったけど、やっぱり(ボートレースが)好きなんだなって感じた。もう1億円を獲るまでは死なれんなって。あんな経験をしたし、今後僕は全選手の中で1位を目指す、その糧にしないといけない」と語っています。

奇跡の復活でファンに方も非常に喜んでいました。

江崎一雄選手、事故からの恐怖心と戦う

競艇 江崎一雄 恐怖心

過去に大きな事故を起こしてしまうと、競艇選手は恐怖心が生まれてしまいます。

それは、人間なので当然の事でしょう。

復活後にボートに乗ってにレースをしてみると、恐怖心を感じることが少なくないようです。

とくに、ターンの時には波が残っていて突っ込みにくかったり、他のボートとぶつかりそうになったり、自分のボートが突っ込みそうになったりして恐怖を感じるといいます。

それでも、ターン時には、果敢に勝負しなければ成績は上がりません。

そのため、ボートレーサーは、つねに操縦テクニックや得意の戦法を磨き、恐怖心を克服しながら勝利を目指しつづけます。

このように緊張感のある毎日を送ることは、大いなる充実感を得られる一方、悩みやストレスの多い日々でもあります。

過去の事故の恐怖を乗り越え、強い姿勢のレースをするのは、非常にメンタルの戦いですね。

競艇選手は常に危険と隣り合わせの職業

競艇 江崎一雄 職業

江崎一雄選手は、レース中の事故で後続の艇と衝突して大怪我をしました。

本当に競艇は事故がつきものですね。

競艇(ボートレース)で最も大変なことは、つねに事故の危険と隣り合わせのことでしょう。

レース中や練習中の死亡事故も起きていますし、長期のリハビリに取り組まなければならない大ケガをする人もいます。

ボートレーサーたちは、訓練時代から、事故の怖さを叩きこまれています。衝突はもちろん、転覆や落水をすると、自分だけでなく、仲間のレーサーも事故に巻き込むことになります。

今回、江崎一雄選手が復活したのは、本当に運が良かったのだと思います。

江崎一雄、高校の同級生と結婚して家庭を持つ

競艇 江崎一雄 同級生と結婚

怪物ルーキーとして、一世を風靡した108期の江崎一雄選手が結婚したことがわかりました。

江崎選手が本日更新した自身のTwitterでファンの方へ伝えています。

この日レースがなかった江崎一雄選手は夜の19時46分にTwitterにつぶやきを投稿しまいた。

本日1つ目となったそのツイートで「私事ですが西スポを見てご存知の方もいらっしゃると思いますが先日高校の時から付き合ってた人と結婚しましたm(_ _)m」と高校時代からお付き合いしていた女性と結婚したことをファンに報告しました。

続けて「もうフライングが出来なくなりましたm(_ _)m笑」と軽くのろけ、最後は「今後ともご声援よろしくお願いしますm(_ _)m」の言葉で締めました。

家庭を持って、家族を養う為にどんどん勝っていきたいですね。

江崎一雄の過去の成績を紹介

競艇 江崎一雄 過去の成績

2011年5月9日、若松競艇場での第39回しぶき杯争奪戦競走でデビューして2着になります。翌日、水神祭を飾りました。
さらにデビュー節ながら初優出しており、これは深井利寿以来の快挙でした。

2013年9月、桐生競艇場での G1第28回新鋭王座決定戦でG1初出場します。(4号艇6コース、2着)

2014年10月、若松競艇場で行われたBOATBoy CUPで初優勝を果たしました。(4号艇3コース。決まり手はまくり差し)

2015年5月、大村競艇場で行われた第42回ボートレースオールスターでSG初出場しています。(4号艇4コース、6着)。

5日目にイン逃げを決め、念願のSG初勝利を獲得しました。

江崎一雄選手の期別成績

江崎一雄選手の期別成績2020/05/01-2020/10/31の集計です。

  • 勝率:5.23
  • 2連対率:35.60%
  • 3連対率:56.16%
  • 出走回数:73回
  • 優出回:0回
  • 優勝回数:0回
  • 平均スタートタイミング:0.14
  • フライング回数:1回
  • 出遅れ回数(選手責任):0回
  • 能力指数:48
  • 1着:16.4%(12回)
  • 2着:19.2%(14回)
  • 3着:20.5%(15回)
  • 4着:6.8%(5回)
  • 5着:19.2%(14回)
  • 6着:16.4%(12回)

参考元:BOATRACE
URL:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/season?toban=4657

この成績を見ても、フライングは一度しかしていませんね。

また、1着~3着までに回数の統計も良いでしょう。

江崎一雄の師匠と子弟

江崎一雄の師匠

江崎一雄選手の師匠の公式情報は見つかりませんでしたが、Yahoo!知恵袋でペラグループからの憶測がベストアンサーに選ばれていましたのでご紹介します。

藤丸軍団(旧小畑軍団)に所属していることから「山一鉄也」が師匠との噂がありました。

また、2013年3月27日に公開された東スポWEBの記事で江崎一雄本人がデビュー戦を終えて以下のコメントを残しています。

完全い先輩方のおかげ。持たされたペラをそのままつけたら節一の足でした。グループの先輩の山一(鉄也)さんも一緒だったので、すぐに相談もできた

引用元:東スポWeb
URL:https://www.tokyo-sports.co.jp/race/boat/126400/

また、身近な先輩として「前田将太選手」・「篠崎仁志」さんの名前も挙げています。

特定の人物を挙げている情報が見つからなかったものの上記の「藤丸軍団」の方々が江崎一雄の師匠だと思われます。

2019年サンスポZBATに掲載されたコラムでは競艇選手「篠原晟弥」が1年間の訓練後、江崎一雄に支持し精進を続けているというコメントを残していることから、江崎一雄選手は篠原晟弥の師匠を務めているようですね!

まとめ

競艇 江崎一雄 まとめ

今回は、競艇 江崎一雄選手をまとめて紹介しました。

話題のルーキーとしてデビューして、各記者から凄い称賛され、その後には大怪我を置いながらも復活を果たしております。

SGで優勝出来る実力の選手なので、今後も非常に期待が出来るでしょう。

彼のレースにが強気なターンが武器で、恐れず突っ込むスタイルが特徴です。

レースで見たら期待しましょう!

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