『栄光と転落と復活』競艇インの鬼 西島義則の波乱万丈な成績とは

投稿日:2018年9月12日
最終更新日:
西島義則

SG優勝7回の成績を誇る競艇のトップレーサーである西島義則は長い歴史のある選手です。一体どのような人物なのでしょうか?

ペリカンモンキー西島義則ってどんな人なの?生年月日や出身地、呼び名の由来は?

競艇 西島

西島義則(にしじまよしのり)は1961年10月30日生まれで島根県鹿足郡柿木村(現在の吉賀町)出身の競艇選手です。
身長は169センチ、体重は52キロ、血液型はA型、現在は福岡県在住ですが、所属支部は広島で、2018年現在は57歳です。第49期として登録、登録番号は3024、現在の級別はA1級です。
叔父に競艇選手がおり、また元競馬騎手の田原成貴とは、従兄弟の関係に当たります

競艇選手になったきっかけとは?

西島義則がボート―レーサ―を目指すきっかけとなったのは、叔父がボートレーサーで競艇が身近な存在だったこと、そして優勝劣敗の世界に入りたいと思ったからとのことです。

ペリカンモンキーと言われる由来

ペリカンモンキー

西島義則のインモンキーはヘルメットが水面に突っ込みそうな程に独自の旋回は深い前傾姿勢であり、それをペリカンになぞらえて『ペリカンモンキー(ターン)』と呼ばれており、『ペリ(カン)』が彼のニックネームにもなっています。

西島義則のレーススタイル

イン逃げの西島

西島義則は「イン逃げの西島」「インの鬼」の異名を持つ程にインにこだわりのある選手です。

インへのこだわりが確立したきっかけって?

モンキーターンという時代の最先端の旋回を駆使したあの『艇王』こと植木通彦の優勝劇に衝撃を受け、自身もこの戦法を必ず習得しなければならないと心に誓ったそう。
外から全速で回れるならインでやったらどうなるか?差されもまくられもしない最強のターンができるんじゃないか?そう思い、インから全速で回る自分だけのターンを作り上げました。

生粋のイン屋として知られる

たとえ6号艇であれ、どんなにピット離れが遅れようとも、前付けで内よりを狙う生粋のイン屋として知られており、実際のレースでも積極的にインを取り行く姿勢には驚かされる程です。

東方不敗のインモンキー

1コースが最も有利な競艇において、1コースからスピードを落とさずに旋回すれば絶対に勝てるはずだ…そう考えた西島義則はエンジンを出足型に仕上げ、助走距離の無い起こし位置からでもスタートを合わせ、1M全速のインモンキーで逃げるのが上昇パターンです。

西島義則の華麗なる栄光とは?

西島義則は過去26人目のとなる2500勝を2018年の東京スポーツグループ杯にて達成します。1981年にデビューしてから37年に渡る現役生活での戦績を見ていきましょう。

デビュー戦は1981年

西島義則は1980年に第49期生として本栖研修所に入所し、翌年1981年にデビューを飾ります。
地元の宮島競艇場にて、プロ初レースでまさかの1着、さらに2戦目においても1着を飾るという素晴らしい連勝にてデビューを果たします。

輝かしいG1デビューを飾る

デビュー4年で宮島の周年記念でG1初優出

着々と実力をつけ、再び地元宮島でG1の初出場を果たし、その際には2戦連続2着と好成績を残した西島義則はデビュー4年で宮島の周年記念でG1初優出を果たします。

1987年にSG初出場初勝利

1987年蒲郡競艇場で開催された第22回総理大臣杯にてSG初出場、しかも初戦でいきなり1着を獲得するなど、とにかく初レースでの強さを魅せつけます。

1989年G1初制覇

1989年1月30日に尼崎競艇場で開催された新鋭王座決定戦で西島義則はG1初優勝を果たします。
ここで8戦6勝、2着2回のオール2連対というすさまじい成績で完璧な優勝を勝ち取ります。

SG初優出は1996年

1996年9月に蒲郡競艇場で開催されたモーターボート大賞にて初めてのSG優出を飾ります。優勝は逃しますが、着実に頂点へと登りつめる為のステップを踏んでいたと言えるでしょう。

1997年遂にSG初優勝

1997年03月15日から開催された第32回総理大臣杯にてSG初制覇を果たします。3号艇から出場しましたが、インコースをダッシュし、なみいる強豪を相手取り1コースから軽快に逃げ切って優勝しました。

1998年にSG2連覇達成

1998年3月17日から丸亀競艇場で開催された第33回総理大臣杯競争にて2度目のSG優勝を飾ります。前年からの2連覇、2号艇からきっちりと逃げを決めての優勝でした。

SG3連覇の快挙を果たす2000年

なみいる強豪を相手取り1コースから軽快に逃げ切って優勝

1976年に野中和夫が達成して以来の史上2人目の大記録となるSG3連覇を西島義則は2000年に達成し、当時最強のボートレーサーの名をほしいままにします。

第10回グランドチャンピオン決定戦競走で優勝

2000年6月20日から下関競艇場で開催となったSG第10回グランドチャンピオン決定戦競走で3度目のSG優勝を飾ります。
2号艇から出場、決まりては逃げでした。

第5回オーシャンカップ競走で優勝

続く2000年7月15日から宮島競艇場で開催された第5回オーシャンカップ競走にて4度目のSG優勝を飾ります。
初戦で転覆失格を喫しながらも優出し、最終戦では2号艇から出場、決まりては華麗な逃げでした。

第46回モーターボート記念競走で優勝

差しで優勝

続く2000年8月22日から若松競艇場で開催された第46回モーターボート記念競走にて5度目のSG優勝を飾ります。
6号艇から出場で、インコースを獲ることが出来ず、5コースからスタートしたものの、それをものともせず、差しで優勝を決めました。

競艇界の頂点に君臨した西島義則

史上二人目のSG3連覇を成し遂げた

5度のSG優勝、史上二人目のSG3連覇を成し遂げた西島義則は更にその勢いを増していく。
2001年11月20日から児島競艇場にて開催されたSG第4回競艇王チャレンジカップ競走では5号艇から出場するも華麗な差しでSG6度目の優勝を遂げ、2002年5月28日尼崎競艇場で開催された第29回笹川賞競走でも6号艇出場で華麗なまくり差しで7度目のSG優勝を果たします。

西島義則の転落とは?

圧倒的な人気と強さ

圧倒的な人気と強さ、その二つを持った西島義則を止めるものはもはや誰もいない。そう誰しもが思っていた矢先、彼に大きな衝撃を与えることが起きてしまう。

第12回グランドチャンピオン決定戦競走

第29回笹川賞競走で優勝を果たした西島義則は次なるSGとなる第12回グランドチャンピオン決定戦競走に出場します。
初戦を3着としたものの、その後は圧倒的な6連勝を遂げ、余裕の優出を果たします。
イン屋である彼が1号艇で優勝戦に臨む=優勝とも言える構図、これ以上ないほどのお膳立てがされた環境で敗れてしまいます。

痛恨のフライング

絶対的有利な状況で臨んだ地元SGの優勝戦、圧倒的な人気を誇り、買われに買われた舟券の数々。西島義則本人はもちろん、満場一致で優勝することを確信していた観客たちも固唾を飲む。
西島義則はスリットオーバーの勇み足で痛恨のフライングを喫してしまう。

【競艇】フライングの全て!わかりやすく解説

歴史的な舟券返還劇

実はこの時、西島義則と共に人気のあった熊谷直樹もフライングとなってしまい、1・2番人気が揃ってフライングという異例の事態に。
その結果、売上26億2427万2400円のうち92.8%にあたる24億3513万3800円が返還という不名誉な大記録を樹立してしまう事になりました。

SG優勝戦フライングの代償

史上最大級の返還額となってしまった宮島競艇場は西島義則の地元レース場であったことで、応援してくれたファン、自分を育ててくれた宮島レース場に大きな迷惑をかけてしまった、その後悔はしてもしきれないほどに彼の心をへし折ってしまう。
一度は競艇界の頂点に立った西島義則はむこう1年間のSG出場停止を課され、表舞台からその姿を消してしまいます。

失意のどん底に差した一筋の光

西島義則は完全に精彩を欠く

第12回グラチャンでの一件から、西島義則は完全に精彩を欠くようになってしまいます。
一時はレースに対する情熱を完全に失いかけ、引退も意識したことがあった程だったそう。
そんな時、再婚したばかりの奥様が競艇界の頂点に君臨した西島をもう一度見たいと切望したと言います。
彼は、今の情けなさに涙し、再起を誓うのでした。

再び頂点に向かっての復活劇

復活の兆し

2003年以降、SG出場、SG優出を果たし、その存在感は証明していましたが、SG優勝には手が届いていません。
ただ、G1優勝をするなど、少しずつ復活の兆しが見えてきます。

戸田グランプリ開設50周年記念で優勝

2007年3月6日より戸田競艇場で開催されたG1戸田グランプリ開設50周年記念で6号艇からの差しで見事優勝を果たします。

2010年成し遂げる大快挙

今村豊を相手どって渾身の全速差しで

2010年4月13日より徳山競艇場で開催されたG1第11回競艇名人戦競走の優勝戦では、1期上の先輩で、デビューした時からその背中を追い続けたあの今村豊を相手どって渾身の全速差しで優勝を飾ります。

この優勝を持って、史上初の新鋭王座決定戦と競艇名人戦(新人とベテランの祭典)のW制覇を成し遂げた最初の選手となりました。

まとめ

6号艇からでも内よりを狙うインスタイル 西島

2010年のG1優勝以降、2018年現在までG1以上の優勝は無い西島義則ですが、2011年以降の優勝回数は17回とA1級のベテラントップレーサーとして6号艇からでも内よりを狙うインスタイルは変わらず今も健在。

まさにインの鬼とも言えた栄光の時代の再来、華麗なるペリカンモンキーターンでの完全復活に期待したいです。