失った夫の思いを胸に、不屈の精神で戦う競艇選手の佐々木裕美とは?

投稿日:2019年4月8日
最終更新日:
競艇 佐々木裕美

佐々木裕美(ささきひろみ)は、山口県出身の競艇選手です。

競艇 佐々木裕美選手とはどんな人?

競艇 佐々木裕美

佐々木裕美選手の基本情報や競艇選手情報、デビューについて紹介していきます。

生年月日は?

1979年10月3日生まれで山口県出身の競艇選手です。
身長162cm、体重44kg、血液型O型と体型はだいぶ細身です。顔立ちも整っているので、美人かつ、可愛らしい選手です。

ボートレーサーになろうとしたきっかけは、小学校の時、ボートレースを見てカッコイイと思ったからです。
ボートレーサーとしての目標は辞める時、選手を続けて良かったと思って辞めることです。

スポーツ経験は少林寺拳法(県大会、中国大会優勝、初段)をしていました。
運動神経が良く、ボートレース以外にもその才能を開花させていました。

好きな食べ物は、焼肉とお好み焼きだそうです。

所属

佐々木裕美 所属

出身地である山口県の山口支部に、所属しています。

登録番号4045(登録期85期)、級別A2級なので階級も上から2番目と高く、才色兼備の選手です。
特徴は柔軟で多様性を持っている、自在な選手です。

得意なコースはセンターで、好きなレース場は唐津競艇場で広いレース場です。
レーススタイルは、スタートで遅れないようにして攻めていきます。

選手実績

佐々木裕美選手のデビューは、1999年11月10日なので、年齢にすると25歳です。
デビューして3ヶ月目(116走目)で初勝利をしました。

そして3年経った、2002年9月津競艇場・女子戦で初優出しました。
その翌年2003年5月26日に唐津競艇場・女子リーグで初優勝と順風満帆に競艇選手としての実績を重ねていきます。

佐々木裕美選手の期別成績

佐々木裕美選手 期別成績

佐々木裕美選手の基本情報を把握してきたところで、気になるのが個人成績です。

出走回数と勝率

出走回数104回の内、勝率は5.71で、2連対率41.30%、3連対率 53.84%です。
3連対率が半分以上あるので、3連勝複式(3連複)に入れたい選手と言えます。

優出回数と、その優勝回数

優出回数は4回と、優勝戦には何度か出ているものの、優勝回数は0回なので、残念ながら優勝戦での勝利はこれからに期待したいと思います。

スタートの平均タイミングとミス

平均スタートタイミングは0.17とかなり優秀です。また、フライング回数0回、出遅れ回数(選手責任)0回と、ミスがありません。

平均スタートタイミングがかなり速い上に、フライングなどのミスがない所は、佐々木裕美選手の強いところであり、良い特徴です。
フライングミスがない佐々木裕美選手はタイミングを測るのがとても優秀な選手だと思います。

能力指数と順位

能力指数は52なので、一般A級の実力はあります。
順位においては、

1着26.0%(27回)
2着15.4%(16回)
3着12.5%(13回)
4着12.5%(13回)
5着14.4%(15回)
6着19.2%(20回)

となっており、1着の確率が1番高いです。
しかし、次に高いのが6着となっているので、多少ムラがあり、舟券を購入する際は注意するべき点です。

佐々木裕美選手の得意とする戦法

佐々木裕美 戦法

佐々木裕美選手は、スタートの速い選手なので、逃げを得意とします。
下記では、その詳細について説明していきます。

1コースの1着率

競艇は、インコースが圧倒的に有利です。近年はその傾向が急激に強まり、1コース1着率は50%をはるかに上回ってきています。そうしたなかで「女子レースはインが強くない」というイメージも浸透してきていますが、実際は女子戦でも1コース1着率は50%を超えるようになってきました。しかし、たしかに全体の数値よりは低くなっています。イン逃げが決まりにくいというのは、誇張された部分もあるとはいえ、おおむね当たっているといえます。

そのなかでも、近年インコースを得意とする1人が佐々木裕美選手です。

2017/11/11~2018/11/10に1コースで20走以上した選手の中では、1コース1着率75.6%と好成績を取り3位に入っています。

ニュースでのインタビュー

佐々木裕美選手は、ニュースのインタビューでも「スタートは絶対遅れないように。私、人の前にいないと展開が読めない。」と笑いながら答えるほど、スタートに重きを置く選手です。

競艇選手としての経歴

経歴

佐々木裕美選手は山口県立柳井工業高等学校(統合により廃校)卒業しました。

1999年11月10日、下関競艇場でデビュー(一般競走1日目第1レース3号艇進入6コース、2着)を果たし、2000年8月30日、丸亀競艇場の一般競走「コカコーラカップ」1日目第1レースにて初勝利(デビュー9ヶ月目、116走目)を決めます。

2002年9月8日、津競艇場の「G3第19回クイーンカップ女子リーグ戦」競走で初優出(5号艇進入6コース)したものの、選責失格と残念な結果になりました。しかし、2003年5月26日では、唐津競艇場の「西日本スポーツ杯争奪G3女子リーグ戦」競走にて初優勝しました。決まり手は豪快な捲りでした。(3号艇進入6コース)

2004年3月2日、多摩川競艇場で開催の「第17回JAL女子王座決定戦競走」でG1初出場しました。翌月の2004年3月4日、3日目の第12レースにて記念初勝利しました。(3号艇進入3コース)捲り差しが決まり手となりました。しかし、2004年10月12日、出場予定だった津競艇場で開催の「G3第21回クイーンカップ女子リーグ戦」を初日から欠場しました。その後、坂谷真史(競艇選手)と入籍し福井支部に移籍し、産休をとります。

しばらくして、2006年1月13日に、多摩川競艇場で開催のオール女子戦にて競走復帰します。

2006年1月14日、2日目のメインレース(12R)で日高逸子や横西奏恵らを相手に産休明けの初勝利を飾ります。(5号艇進入5コース、決まり手はツケマイ)

2007年2月26日、出場予定だったJAL女子王座決定戦競走の前日検査で徳山競艇場入りしていたが、住之江競艇場で夫の坂谷が転覆し、大阪市立総合医療センターへ搬送されるとの一報を受け急遽欠場しました。欠場手続き後に直ちに病院に駆けつけましたが、死に際に間に合いませんでした。これを期に故郷の山口県に戻り、山口支部の選手として再スタートを切ることになりました。

2007年10月13日、夫の事故現場であった住之江競艇場で復帰を果たします。同16日、復帰後初勝利します。

2008年7月17日、夫の地元水面であった三国競艇場で開催の女子リーグ戦で復帰後初優勝をします。

2009年3月3日、尼崎競艇場で開催の第22回JAL女子王座決定戦競走に5年ぶりに出場します。

2009年5月26日、福岡競艇場で開催の第36回笹川賞競走でSG初出場します。

同年5月30日、5日目の第7レースにてSG初勝利ました。(6号艇進入5コース、決まり手は捲り差し)

3連単の配当はSGレース史上最高額である199,840円を記録しました。(2009年当時。2016年12月25日SG第31回グランプリ最終日の第5レースにて記録した配当252,220円が現在の最高額)

家族構成について

佐々木裕美選手 旦那

佐々木裕美選手には結婚している旦那さんがいました。
坂谷 真史(さかたに しんじ)
1980年3月10日 に生まれ、 2007年2月26日に他界しています。
坂谷 真史選手は福井県出身の元競艇選手です。登録番号は4048、養成85期。 身長166cm、体重52kg、血液型はO型です。

夫の坂谷真史の事故について

彼の悲劇は2007年に起こりました。

2007年2月26日、住之江競艇場で、大阪府都市競艇組合主催GI第50回住之江周年記念「太閤賞」競走6日目(最終日)第3レース一般戦において、5号艇6コースからの出走。

2周1マーク、2号艇福島勇樹との激しい2番手争いで差しハンドルにより抜きを試みた際、6号艇山田豊との接触により転覆してしまいました。

事故艇を回避していた3号艇中澤和志の位置に浮上し巻き込まれました。競走後は大阪市立総合医療センターへ搬送され、集中治療室で治療を受けましたが、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症により12時54分に死亡が確認されました。26歳没。

最愛の夫を事故で亡くす悲劇に見舞われてしまいましたが、彼女自身もレース中に命を落とす可能性があるという事を肝に銘じ、安全に配慮し全力で戦っていって欲しいと思います。

2004年3月の中島康孝の死亡事故以来、競艇史上28人目の殉職となってしまいました。

なお、中島も坂谷と同じく85期の選手であったため、2人連続で85期より殉職者が出ました。

前期勝率6.98、この期も7点を越えるアベレージをマークしていました。レース中の死亡事故は少なくありませんが、夫婦でボートレーサー(ボートレース界には同年時点で20組以上がいた)であったこともあり、翌日のスポーツニッポンにはレース欄でなく、社会面にこの死亡事故が載りました。

坂谷真史の個人成績について

通算出走回数 1377走(うちフライング10回)
通算1着回数 394回
通算優勝回数 14回(優出49回)
通算勝率 6.21
通算獲得賞金 1億5802万円5620円

まとめ

ボートレーサー 佐々木裕美

1999年11月にデビューし、9カ月後に初勝利し、2003年5月には初優勝します。
しかし、2017年2月16日、同じ競艇選手だった夫である、坂谷真史がレース中に事故死してしまいました。
旦那が事故死としてしまうという不運に見舞われてしまいました。

大きなショックを受けましたが、彼女は、旦那の事を胸にしまいレーサーとして復帰することを決断します。
10月13日、愛する夫の事故現場だった住之江競艇場で復帰して16日、復帰後初勝利しました。そして、08年7月、夫の地元水面であった三国競艇場で優勝を飾ります。

この挫けない強い心のおかげで、09年5月には笹川賞競走でSG初出場し、5日目第7レースでSG初勝利を決め、119万9840円という3連単の高額配当を穴党にプレゼントしました。

現在も、亡き夫への想いを胸に、A級選手として頑張っている佐々木裕美選手です。
彼女の精神の強さや、負けん気の強さには頭が下がります。今後も頑張って上位に行くことを常に考え、競艇に挑む姿勢をこれからも応援して行きたいと思います。